望外の喜び

高島屋さんから戴きました、中身は…(*^o^*)

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先日、タカシマヤさんにて開催された「日本酒祭inタカシマヤ」で、あまりの混雑ぶりにほとんどお目当てのお酒も飲めず、ポツネンとしておりますと、アンケートの回収箱がありましたので、ふだんそういったことはあまり関わらないんですがあまりにもヒマを持て余しておりましたため、アンケートに協力。

今後も続けてほしいという想いを込めてクレーマーではないですけれども、今回のオペレーションについて辛口な意見をば認め(したため)ました。

で、きちんと住所まで書いて提出する人はそうは居ないだろうな?と思いつつ、面倒がらずに書けたのは時間的に余裕があったからかもしれません。景品は確かに素晴らしい商品ではあったものの、「当たるわけないやろ」とおもってましたので、それに釣られてというわけではございませんでした。
知り合いのキクちゃん(原口起久代さん)のプロデュースの企画が長く続けばいいなということでしたので、やはり意見をきちんと書く、そして所在も明らかにした方が主催者側もちゃんと受け止めてくださるのではないか?という考えからでございました。

してから、そんなこんなでアンケートのことなんてすっかり忘れておりましたところに、高島屋さんからの御届け物が。
あれ?お中元にしては早すぎるし、いったい何だろ?とおもって開けてみると、例の景品が!

キクちゃん、高島屋さん、ありがとうございます。大事に使わせていただきます。

若者が投票に行かないワケ

都構想の”祭り”から、まだ覚めていない感じですね。

と申しますのも、あれからいろんな方が分析・論考しており、熱く議論がなされているからであります。

曰く、「老人が改革に待ったをかけた」。
曰く、「若者が選挙に無関心を加速」。
曰く、「キタとミナミ、大阪の南北問題」。

まぁ、今回の住民投票は、来たるべき「憲法9条改正」の為の、国民投票のシュミレーションとして多くの知見が得られたのではないかと個人的にはおもいます。
自民党(というより、官邸?霞が関?)はどうすればいいのか?通常の公職選挙法とも違うし、小さな町村の住民投票とも規模が違うし、何より法的拘束力のある住民投票という次元の高いものを取り扱ったという点で、非常に価値あるデータが揃った、しかも税金で。

で、本題に入りますが、
若者は、自分たちのこれから生活していく社会をどう変えていくかを問われている選挙だという認識が果たしてあったのだろうか?

認識はあっても、選択肢とその先の明るい未来を想像できていたのだろうか?

選択肢も将来像もクリアなのに、どうせ自分の一票に影響力なんかないんだろうと思い込んでいたのではないだろうか?

といったところが論点として挙げられるのではないかとおもいます。
これらの問題を一挙に解決する策として、
スマホやPCでの投票をという声がありますが、不正防止とかシステム障害対応とかで慎重派がいます。
技術的な問題(本人確認と、データの不正防止策)が解決できれば、そしてそんなに困難な話ではないんじゃないかなと楽観的に考えていますけれども、個人的には。

さて、投票行動を起こすということ自体がけっこう心理的にストレスを感じるのではないか?というのが、わたくしの仮説であります。

投票所に行けば、投票しに行ったことがバレる。
バレるという言い方からしてアレだが、他人に知れると、
「だれに投票したの?」という風に聴かれる。
そんな他人の行動なんてだれも気にしてないとは言うものの、知れば聞きたくなる。
そうすると、しゃべらないと気まずい雰囲気になる。
なので、そもそも投票所に行っていなければ、投票する事はできないので、だから行かない。

では、逆に投票を恥ずかしがらずに堂々と行なえている人たちって、いったいどういう精神構造をしているのだろうか?

投票しないのは民主主義の権利を放棄した悪い大人だというレッテル、これもあるだろう。

でも、「受益者」であるということがそうさせる原因ではないか?
「行けばこうなって、自分にとってメリットがある、楽になる、明るい未来になる」というマインドと、
「行かなければこうなって、不幸になる。不利益を被る、何かを強いられる」というマインドと。
(でも、実際多くの場合、投票したからといって、ダイレクトにそうなるわけではなく、いくつかの複雑なプロセスを経て結果的に投票行動が反映されるわけで、ここにもトリックが潜んでいる。)

「行けばこうなる」のマインドセットの人は、投票するのは当然の行為である。
なので恥ずかしさといったものはないし、聴かれても自信をもって答えるだろうし、さらには人にも投票行動を薦めさえするだろう。

今回の都構想の住民投票は、一方で
「シンプルな」想いから行った「アマチュア」と、
「行けばとこうなる」というマインドセットを日頃から整理できていた「プロ」との争いだったのかもしれない。

ワンワードのシンプルな争点を示すと、浮動票を獲得できるという印象は、小泉劇場で既にご承知のことだとおもいます。
今回も、シンプルな仮想敵を橋下さんがイメージさせることができていれば、浮動票が取り込めてあるいは勝てたかもしれない。

結局、今回の都構想については、

「行政改革の手法にNOを突きつけられたのか?それとも改革されること自体にNOだったのか?」

という観点で総括しないと分かりにくいのではないかなとおもいます(下図にて説明)。
都構想マトリックス

もうひとつ、反対票と賛成票の差がわずか0.8%という僅差で終わったことで、双方にしこりが残るということであります。大阪市内で意見が対立する構図だけが残るというのは悲劇であります。
勝った方は都構想ではないやり方での行政改革を”幻の”都構想のロードマップに沿ったタイムスケジュール(制限時間内)で、ぜひ早く着手していただき実現してほしいと思います。

人のすることにいつも反対する人への対処法

何か新しい取組みを試みたら、必ずといっていい程、批判が起こります。

では、なぜ批判は起こるのでしょう?
1)新しい事は、今まで無かったことなので、不安。
2)今の状態から何か変わるということへの、面倒くささ。
3)今の状態で既得権益を得ている人にとっては、新しい事によって既得権益が今より減るか、周りが利得を得てしまうことが、じぶんにとって損だと思う為。
4)新しい事を言い出した人が、単に嫌い。
5)新しい事が、どうも間違っていて、しかも自分らの生活に悪影響を及ぼす可能性が高いと思う為。
6)これらの複合系
こららの原因は、以下のように対処していけば良いのではないかと考えます。
1)今まで無かったことなので、何がどのように変わって、どう良くなっていくのか?当然デメリットやリスクも説明しなければなりません。リスクテイクできない人には、何を言っても無駄ですので、言うのは「リスクは私たちが取りますのでご心配なく」とだけでよいでしょう。
2)何か変わることで新しいことを身に付ける事こそ人生の醍醐味なのに、勿体無い。
このような考え方のひとには、どうしたら良いのか?今座っている椅子から新しい椅子へ移らせるには、1. 今の椅子をぶっ壊す。2. 新しい椅子に座らなければ生き残れないとアナウンスする。3.  新しい椅子の良さをアピールする。といったことでしょうが、「今座っている椅子は、いずれ悪くなりますが、新しい椅子に今すぐ移れば、得をします。しかし、今のうちに移らなければ、必ず不利益を蒙ります。」と説明すれば、この手の人はすぐに退いてくれるでしょう。
3)の場合は、はっきり言って、闘争ですね。妥結点を早急に見つけなければなりません。
4)のケースは、少数派であることが多いですので、基本無視でしょうか。しかし、世論を味方につけておく必要はあるとおもいます。
5)これが1番多いケースで、しかも悲惨なケースではないでしょうか。相手が正しくて、自分が間違っているのにも関わらず、突っ走ってしまう。聞く耳を持たない。
この手の批判は、実はやる前から分かっているケースが多いのですが、誰からも批判されない雰囲気がそうさせるのか。あるいは、内容に対する批判(より良い提案)をあたかも発案者への個人批判と受け取り、それを排除しようとする組織内政治力?がそうさせるのか。(何故か行政主導の案件で多いのは気のせいでしょうか?)
小さな例であれば、その不幸の影響も小さいのでしょうが、それが大阪都民(これからも市民のままですが)のようなケースでは、取り返しがつきません。
新しいことを拒絶しては変わりはしませんが、その内容についてはよく吟味しておく方が良いに決まっていますし、言ってる人の好き嫌いとかで決めず、めんどくさくても新しい事の是非でジャッジしてほしいと思います。そんなに時間もないですが、もっとメリット・デメリットを詳しく説明してもらいながら。

ピケティの『21世紀の資本』というのは、どうやらこういうことらしい。

ピケティの『21世紀の資本』という本は700ページにも及ぶ分厚さと難解さにも関わらず、
ベストセラーだということで、読んでみようかとおもってらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

でも、時間のない現代人にとっては(笑
「結局のところ、どうよ?」
ということで、解説本も「ついで需要?」で売れているようです。

しかし、わたくしがおすすめしたいのは、こちら
といってもピケティの本の解説というのではなく、それにまつわる日本の出版業界の立ち位置について述べてらっしゃるのですが、
そこでも「バカの壁」以降の「新書」ブーム、それはひょっとしたら現代人の時短の要請によるのかもしれませんね。

『バカの壁』が2003年刊行だから、もう10年以上もやってるんですね。どこの出版社も、毎月2冊みたいなデスマーチで、著者にとっても1カ月くらいで書き上げなくちゃならなくて、装丁デザインは決まっちゃってて工夫のしようがなく(あんなに大きい帯かけるんだったら意味ないじゃん、ってなのも多いですね)、印税率がヒト桁で、初版数もほとんどの本は数千部しか捌けなくて、あとは同じようなタイトルがずらっと書店に並んで黄ばんで行くんですよね。

という点はビジネスモデルとしての「出版業」というものと対極をなす視点であるといえ、それ故今出版業界が閉塞感に陥っているのではないでしょうか。疲弊していってる中からの脱却としては、消耗戦からの離脱しかないと思いますが、他所との競争なので「自分だけが今のマーケットシェアを失う」というリスクを取れるのかどうかという点が悩ましいところではあります。

ちなみに、ピケティの『21世紀の資本』の中身は?

もちろん、結論だけが知りたいのならば、ぶら下がりで出されている入門書の類を読むまでもなく、「r > g(経済成長率より資本収益率の方が大きい)」で済んでしまうわけですし、実生活での例なら、キャバ嬢だって「人生、チマチマ働くよりも資産家の男をつかまえたほうが勝ち」みたいなことぐらい、ピケティ読まなくてもわかっているわけです。この本を読んだからって格差がなくせるわけでもないし。

ということは、つまり、
「r > g(経済成長率より資本収益率の方が大きい)」
なんですね。でもそこからしてわからない。資本収益率の方が大きくなると、資本家と労働者との格差がますます広がり…。
それを解消するための方策として資本家への税率強化による富の再分配が必要だと、おっしゃってる(そうだ)。

ほかにも、いろいろな解説がなされていて、
ピケティの説が正しいのかどうか、というところが議論されていますが、こういった議論が活発になるきっかけが”本”によるというのが、本の元々の意味だとおもいますので、そういった意味では「新書」のサイズでは長期的、本格的な議論というものが湧いてくるのか?ま、内容次第なんだといわれてしまえばそれまでですが、議論に耐え得る内容というのはボリュームに比例しそうだと、わたくしは思います。

決勝は、フランスvs.オランダで決まりやね(爆

2014FIFAワールドカップブラジル大会、ベスト8が出揃いましたね。
すべてグループリーグ1位通過した国ばかりというのが、なんとも順当な感じがしますが、試合経過をみてみると、「手に汗にぎる接戦」という試合も多く、実力だけではない感じもいたします。
そんななか、決勝に進出するのは果たしてどことどこか?勝手に予想してみました。
フランスとオランダで、優勝は…阿蘭陀かな??(あくまでも勢いで)

日本がベスト8進出するのは、はたしていつか?少なくとも、今回のベスト8に進出した国と伍したのか?みなさんは想像できますか?

セレッソ大阪の柿谷選手が、スイス1部リーグ「バーゼル」に移籍なんですね。がんばってください。

2006ドイツW杯のデジャブー

「あー、なんかこれと同じ展開、経験してたよなぁ…」
と思い出してググってみた。

やっぱりそうだった。
2006FIFAワールドカップ ドイツ大会

偶然にしては重なる符合…。

まずは、史上最強のメンバーと謳われた布陣。

今回のメンバー:海外組が半数(12人/23人)。しかもビッグクラブ(マンU、ACミランなど)に所属している選手もいる。

(2006年のメンバー)黄金世代と呼ばれ(1999ワールドユースU-20準優勝経験メンバーが中心)、海外の強豪リーグで活躍中の選手もいた。

そして、気になる試合結果だが、
今回第1戦目:本田が先制ゴール。しかし後半途中、”キング”ドログバの出場により、わずか数分の間に逆転される。

(2006年の第1戦)当時の日本のエースで先制点。しかし後半のメンバー交代から終盤の5分間でオーストラリアにあれよあれよという間に逆転される。

今回第2戦目:日本が試合を有利に進めるも(ボール支配率で上回るものの)、後半特に、内田からのパスを大久保が決めきれず、スコアレスドロー。

(2006年の第2戦)ともに1戦目で負けて後が無いチーム同士の負けられない戦いで、後半に柳沢が決定的なチャンスを決めきれず、スコアレスドロー。

ところで、
(2006年の第3戦)誰もが認める世界の強豪との試合。最初は先制するも、相手の本気モードの怒涛の攻撃により完敗。
試合後、中田ヒデがなかなかピッチを立ち去ろうとしない光景は、今大会の日本代表を物語る際の印象的なシーンでもある。

さて、今回はどのようなシーンが印象に残るのでしょうか。
がんばれニッポン代表!

(追記)
後からググってみると、2006年の日本代表の敗因は何か?について語っているブログがいくつかあった。
これが一番しっくりくるな。と思った。

Yelp, 日本上陸!?

新しいWEBサービスが日本上陸。

世界最大級の口コミサイトが日本上陸 米「Yelp」

Yelpって何?どういう意味?とおもい早速ググってみますと、

【動詞】 【自動詞】
〈犬が〉キャンキャンほえ立てる 《★【類語】 ⇒bark1》.
【名詞】【可算名詞】
(犬の)キャンキャンなく声.
”研究社 新英和中辞典”より

他には、

yelp
【動詞】
1
甲高い調子の吠え声
(bark in a high-pitched tone)

the puppies yelped 子犬は甲高い叫び声をあげた
”日本語WordNet(英和)”より

Yelpとは、米国サンフランシスコに本拠を置くYelp, Inc.が運営している、飲食店などの店舗のレビューを投稿できる口コミサイトである。”Weblio英和対訳辞書”より

とありました。ということは、既に彼の国では市民権を得られたサービスということなんでしょうか、Facebookと同じ2004年にローンチされたようです。
それにしても、ツイッターにしても、日本人のボキャブラリーでは出てこなさそうな(少なくとも大学受験英語ではお見かけしない)単語だと思うのですが、そういう単語の方がネイティブにとっては親近感がある言葉ということなのでしょうか?日本でいったら「わんわん」という言葉はどちらかというと幼児の絵本とかででてくる単語、だからこそ誰もが親しんだことがあるという言葉なのでしょうが。この辺のネーミングセンスは文化の違いなんでしょうか?

朝日新聞によると、『実名主義による情報の信頼性を担保した形で友だち同士で店を勧め合う使い方も図りながら、日本で先行する「ぐるなび」や「食べログ」に挑む。』ということらしい(括弧内は筆者解釈)。

実名主義が日本ではネックになるのかなぁという気がします。つまり、浸透スピードが遅いのではないかと。
信ぴょう性を担保するというのは、本来「コストを払う」べきことであるわけですが、ネットサービスの場合、これを「無償の善意」というカタチでどうも回していこうとするきらいがあります。そこにサービスの破綻を来すほころびがあるようにも思います。ともあれ、じわじわと広がるのではないかとおもいますのでその辺でキャッシュフローが流れていくのか注目するところではあります。

The STAP can’t STOP…

ご本人が出てきて会見することで収束するのか…

(今回は引用するWEBサイトのリンク等は端折っちゃいました。スミマセン。別に無断引用に配慮したわけではないですよ、ただ面倒くさかったからだけですw)

博士論文の序説(研究の背景・歴史)の部分の盗用疑惑→これ、コピペはいかんよ!という指摘は御尤もなんですけれども、歴史の出来事についての説明というものは、誰が書いてもさほど変わり映えしないというか、そういうところに独自性を求めるものでもないので、本筋は研究内容におけるオリジナリティであるからそこに注力すべきで、ネイティブでない日本人が20ページも英文を創作するというのは「効率的」ではないという判断はある意味”賢い”のではないでしょうか?

で、小保方さんが書いたとされるNatureの論文(もちろん共著)なんですが、なぜあんな取り違えや切り貼りをしたまま、掲載させちゃったんでしょう?
ここから先は、あくまで空想の産物なのですが、

理研というスポンサーのグラントに群がる研究者、iPSによってそれまでの地位が逆転したため焦った研究者、そして研究者としてのトレーニングが足りないが強かな研究者。
これら三者三様の「研究者」たちが織りなした壮大な虚構なのではないかということです。

もしそうであるとするならば、小保方さんも駒のひとつに過ぎないですし、彼女が本当のことを言える立場ではないとおもえます。
なぜなら、彼女のプライドもあるでしょうし、この壮大な虚構について誰が画を描いたかという確たる証拠がないでしょうから。

さて、真犯人は誰か?この場合、刑事ドラマの定番である
この一件で得をするのは、誰でしょう?
ということを推理してみれば、おのずと答えがわかりそうな気がします。
バレなければ、三者とも得をしたわけでありますが、この中で「バレても得をする」人たちがいます。それは理研のグラント(科研費)で報酬を得たであろう研究者たちであります。何しろ結果がどうであれ、返還義務はないのですから(※)。
※告訴対象にならないと思いますよ。だって自分たちは決して”手”を動かしてないですし、却って自分たちも論文の被害者だとさえ言えるんですから。
研究者を称賛しながら叱咤激励しつつ、ただ単に無言のプレッシャーを与え、研究者への悪魔の囁きを待つ…そんな老獪なツワモノと、(本人の本意であるなしにかかわらず)簡単にリケジョと祀り上げられてしまう若者とでは、役者が二枚も三枚も上のような気がいたします。

そして、STAP細胞は本物なのか?という疑問も残ります。
しかし、STAP細胞の着想自体はむしろ昔から唱えられてきた説でありますし、現在証拠が見つからないからといって、将来にわたっても偽物であるという保証はどこにもありません。これからも、仮説の命題である「STAP細胞であるならば、全能性を有していて、なおかつ過去の細胞の履歴を遺伝的に有している。」ということを証明できる実験系を編み出し、実験すればいいのでしょう。むしろ、この件で研究熱が冷めてしまう、まるで常温核融合みたいな結末となるのが不幸といえば不幸でしょうか。

科学者の倫理観というものが問われているこの問題。
倫理観の欠如といわれてしまうと、それは科学者業界だけではなく、社会全体が等しく抱える問題であるとして取り扱うべきだと思いますし、今回はあまりにも皆さんの記憶に新しくて容易にトレースできちゃいますけど、報道している各社も「上げて、落す」というのは倫理観があるのですかね?と問いたいと思います。マスコミにも「情け」ってないですかね?

STAP細胞はどこへ消えた?

前回、称賛と興奮とともにアップしました「iPSを超えた!?といわれる新たな万能細胞「STAP細胞」の開発にみる当世研究者事情」。

しかし、現在は、こんな感じですね。

STAP細胞 小保方さん、再現実験に成功 論文発表後初めて2014.3.6 msn産経ウェブニュース

STAP細胞「確信なくなった」2014.3.9 NHKウェブニュース

【衝撃】理研・小保方晴子氏のSTAP細胞論文の捏造がほぼ確定か 著名研究者らによる失望ツイートまとめ←今ココ。

なかでも、サイエンスライターの片瀬久美子さんのツイートは決定的ですね…

“片瀬久美子@kumikokatase
しかし、STAP細胞の多能性を示した肝心のデータであるNature Articleの図2dと2eに画像流用の疑いが出てしまいました。これらのデータを元に、STAP細胞と命名された大事なデータです。本当に残念です。http://stapcells.blogspot.jp/2014/02/nature-article.html

疑惑に対する糾弾が衰えない構図というのは、だました方が悪いんだ!という風潮なのでしょうが、騙した奴を正しく裁けない世の中の仕組み自体に制度疲労というか、問題があるような気がしてなりません。

ま、まだウソと決まったわけではありませんので、注視したいとおもいます。

っていうか、特許絡みの研究成果について、なんでも包み隠さず開示する必要があるのだろうか?と思ったりしますけどね。ある意味、国家機密レベルでしょ、本当だとしたら。

ビットコインは泡沫の夢?

昨日来、地上波のニュースでも取り上げられて、世間にも知れ渡るようになった”ビットコイン”。

仮想通貨というたとえが良いのか、それともデジタルマネーといった方が良いのか?

まだまだそんなに普及していないので、ピンとこない人も多いのではないでしょうか。

かくゆうわたくしもその一人であります。

しかし、いったいどういう事が起こって今回の騒動になったのか?

それを理解するためには、ビットコインの仕組みを説明しなければならないだろう。

ビットコインの詳細については、こちらの記事をご覧いただくとして、
http://blogos.com/outline/81114/

要は、その取引がその時の価格価値で締結したかどうかという、”通貨の信頼性”を担保できなくなったということなんだろうと。

(取引中に、別のアカウントで”なりすまし”で再度約定を送ることが可能な状態(いわゆるバグ)を放置していた為、契約が成立した後でも取引相手の知らぬ間に、契約内容の書き換えができた)
ひょっとしたら、ハッカーに狙われたのか?

今のところ、Mt.Goxが取引所機能を失っても世界中でのビットコインの流通は可能な状態であるということらしいので、影響が限定的であるという見方があるが、こういう不祥事によって世間の耳目を集めたサービスが、今後益々発展していくのは非常にアゲインストな状況であると言わざるを得ない。

この件に関してMt.Goxはトンズラしているようだが、もうとても賠償しきれない額の損害だからといって、逃げているようではこのサービスの未来はない。もっとも最初からポリシーが無かった会社だとしたらそれこそ社会的制裁を受けるべきであろう。説明せずに放置しているというのはCSR的にも誤った対応と言わざるを得ない。

わたくしは、この通貨サービスはものすごく社会的な価値が大きいと期待している。
なので、ぜひともMt.Goxには今回の件に関しては謝罪し、誠意ある対応をしてほしい。”通貨の信頼性”を回復する為には、もはやそれしかない。