クラフトビールというネーミングの妙

とあるセミナーにて、今流行りの「クラフトビール」について、ちょっとした話題となった。

たしか、「地ビール」というのが流行ったのが、10年以上まえで規制緩和の影響だったか。
このときは、大手ビールメーカーの牙城を崩すか?という淡い期待はビールの泡のように、ほどなく消えた。
しかし、最近また復活した。
要因はいくつもあるのかとおもいますが(たとえば水曜日のネコとか)、わたくしは「地ビール」という名称からの脱却だったかとおもいます。
「地ビール」というのは、日本酒でいうところの”地酒”に対抗したネーミングだと想像します。
いわく、地方のお酒である地酒に対抗して、地方のビールとして「地ビール」。
ネーミングの経緯としては必然的ではありますが、しかし野暮ったい。

それが、「クラフトビール」というネーミングに脱皮した。
クラフト=クラフトマンシップ(職人気質)という本質が、地ビールにはあるわけで、その本質の部分を見事に浮き彫りにしたのではないだろうか。

ツナガリストのアタマのなか:

その商品・サービスの特性のなかから、本質の部分を導き出し、それをイメージ良く表現する。

これが成功するかどうかがネーミングにおいては大事だとおもいます。

ちなみに、「クラフトビール」だけでなく、コーヒーも「クラフトコーヒー」であるべきだというのがセミナーでのお話でした。
(ちなみに、バーボンの世界でも「スモールバッチ」といわずに「クラフトウヰスキー」と呼ぶそうです。)
そして、コーヒーのトレンドは、
珈琲道 ⇒ カフェブーム ⇒ サードウェーブ ⇒ 2015~は、さて?

振り子の揺り戻しであるとすれば、2015~は、「カフェ」の時代となるのではないだろうか?
Meetsなどの雑誌で珈琲特集を取り上げるときの記載の変遷が「コーヒー」から「カフェ」となって「コーヒー」となっているという事実から、そして今実は「カフェ」特集という表記となっているのが見受けられることからも、これからは「カフェ」の時代が(「コーヒー」がなくなるというわけではなく共存という形で)やってくるのではないか?
さらにいうなら、「カフェ」というのは空間、スイーツなど、珈琲一本での勝負ではないところに妙味があるので、これからはスイーツでの深化が起こるのではないかというのがわたくしの予測であります。

梅田ロフトの神対応

噂には聞いていたけど、すごいですわ。梅田LOFT

というのも、最初100均で買うようなものを探してたんですけど、最近は品揃えの多いダイソーのような100均のお店があまり見かけないですよね?それなのに、「梅田に行きゃあなんとかなるわい」、と安易な気持ちで出てみましたが、
一応、梅田にダイソーがあるのかWEBでチェック。梅田OPAにあるみたい。でも品物が無ければ無駄足になってもなぁとおもい、電話で問合せてみる…ダイソーのWEBサイトがイケてない?っていうか、梅田のダイソーの代表電話番号に掛けても長いこと待たされて、挙句の果てはFAXに切り替わってピーガラガラガラガラ・・・っていう例の音になって、電話が通じない。
しかたないので、現場に行ってみましたよ、ハイ。でもって、やはり店内を見回してもお目当てのブツは見つからず、断念。

100均は諦めて、文房具屋?道具屋筋?松屋町?パーティーグッズ?と、いろいろ思いを巡らせていると、いや梅田ならロフトか!ということに閃きました。(早く気付けというかもしれませんが、テンパるとなかなかそうはいかないもんです)

そこで、一応ロフトへ電話して、「赫々云々のモノはございますでしょうかね?」と申し伝えると、十数秒で『その商品でしたら扱っておりますので、詳しくは担当の者に替わります!』ということで、5Fのフロア担当の方が出てきて、『お探しのモノでしたらございますが、現場でご覧になってご確認ください。』ということで、ひとまず安心。

梅田ロフトではちょうどこのようなイベントが開催されているようです。
(ちなみに元画は東洲斎写楽の役者絵。)


指定された売り場に行くと、

ありました!

これが欲しかったんです。(左となりの黄色いのではありません)
でも、売り場には2つ。実は15個欲しかったんです。

そこからが大変!

レジにとりあえず2つを持って行って、
「あの、すいません。これ、あと13個欲しいんですけど、在庫ってありますか?」

最初に受け取った店員さんは、
『そうですね、在庫の方すぐにお調べしますね。』といって、端末をいじってましたが、どうやら在庫は今手元にある2つだけの様子。

「でも、どうしても15個揃えたいんですけど、問屋さんとかメーカーさんに尋ねてみてもらえませんか?」とわたくし。

すると、別の店員さんが出てきて、なにやらゴニョゴニョ…引継完了した様子。
まず、最初の答えはすぐに返ってきた。
『メーカーには在庫が無く、取り寄せるにしても今から発注するということなので、ご希望の日にちには間に合いません。』

「それじゃあ、ロフトさんの神戸とか、ここから近いところで扱ってないかな?あるんだったら買いに行くよ。」

『では、全国のロフトに問い合わせてまいりますので、しばらくお待ちください。』と言って、その新しく来た店員さんはそこから電話をかけまくった。
  
待っている間に、さっきの梅干し展の会場がレジの隣にあったので、見るとはなしに見ていました。
梅干しの種飛ばして…和田ラヂヲさん、しかも消えた世界記録って…消えた年金記録みたい…そんなに難しいのかな?発射角度を45度にして、鼻呼吸で深呼吸という、いつもの長息のようにすればイケるんちゃう?とか、いろいろ考えてみました。
でも、それでもまだまだ彼女は電話しつづけております。
  
えーっと、かれこれ30分経つんですけど、わたくしも立ったまま、待っております、ハイ。
時折掛かる『すみません、たいへんお待たせしております。』の声が逆に辛い。
(ホントすみません、こちらの我儘に付き合っていただいて)
  
どこに掛けてるのか、漏れ聞こえてくる声によると、どうやら集まりそうな感じ。「ハイ!ありがとうございます。」という元気な声が、期待を膨らませてくれます。お願い!揃って!!

待つこと1時間。笑顔で応える店員さんからの答えは、
『お客様のご希望が31日ということでしたので、全国のロフトに在庫が無いかどうか確認してまいりました。』
『すると、千葉、東京、神奈川の3店舗で合わせて15個分揃えることができました。ついては、31日までに梅田店にて集約いたしますので、お取り置きの手続きをお願いします。』

「すごいねー、でもどうやって送ってくるの?ロフトの店舗間でのルート便みたいなものに載っけてくるの?」

『それは、各店舗から宅配便で直送してもらうことになりました。』

「するってぇと何かい?配送料はどうすんの?もしかして御社負担?』

『そうですね、今回の場合はお客様がお急ぎですので、お日にちに間に合わせる為には宅配便を使った方が速く着くのでそのようにさせていただきました。』
『もちろん、運送費は弊社負担とさせていただきます。』

そんなー!
1個280円のものを15個で、4,200円の品物に対して、配送料はおそらく600円(法人契約として)×3か所=1,800円も経費を掛けて売っちゃあ、大損ですやん!!
しかも、彼女は1時間以上、売り場対応できずにずっとこのややこしい注文にかかりっきりでしたので、その人件費も勘案すると…(たぶん原価割れです。)

『いや、でもだいじょうぶですよ。』

ぜんぜん大丈夫じゃないですよ、本当に申し訳なかったです。こんなことになるなんて。
これってロフトのポリシーなの?梅田ロフトのこの方だけの対応なの?

経済合理性だけでなく、しかも一見さんかもしれない顧客に対しての対応にしては、ちと寛大すぎやしないかい。
こんな対応されちゃうと、いやでもファンになっちゃうじゃないか、梅田ロフトさん。
   
『ハンズは、「ありません」とは言わないで、売り場対応する。』という話を聴いたことがあったが、
それにも勝るとも劣らない、今回のロフトの対応はみごととしか言いようがございません。

しかも、28日の午後に注文したのが、29日のお昼過ぎにロフトから電話があって
『ご注文のお品が15個全部そろいましたので、今からお引き取りいただいても結構ですよ。』とのこと。

まさに、
梅田のロフトは神対応。

梅田ロフトのツイッター

若者が投票に行かないワケ

都構想の”祭り”から、まだ覚めていない感じですね。

と申しますのも、あれからいろんな方が分析・論考しており、熱く議論がなされているからであります。

曰く、「老人が改革に待ったをかけた」。
曰く、「若者が選挙に無関心を加速」。
曰く、「キタとミナミ、大阪の南北問題」。

まぁ、今回の住民投票は、来たるべき「憲法9条改正」の為の、国民投票のシュミレーションとして多くの知見が得られたのではないかと個人的にはおもいます。
自民党(というより、官邸?霞が関?)はどうすればいいのか?通常の公職選挙法とも違うし、小さな町村の住民投票とも規模が違うし、何より法的拘束力のある住民投票という次元の高いものを取り扱ったという点で、非常に価値あるデータが揃った、しかも税金で。

で、本題に入りますが、
若者は、自分たちのこれから生活していく社会をどう変えていくかを問われている選挙だという認識が果たしてあったのだろうか?

認識はあっても、選択肢とその先の明るい未来を想像できていたのだろうか?

選択肢も将来像もクリアなのに、どうせ自分の一票に影響力なんかないんだろうと思い込んでいたのではないだろうか?

といったところが論点として挙げられるのではないかとおもいます。
これらの問題を一挙に解決する策として、
スマホやPCでの投票をという声がありますが、不正防止とかシステム障害対応とかで慎重派がいます。
技術的な問題(本人確認と、データの不正防止策)が解決できれば、そしてそんなに困難な話ではないんじゃないかなと楽観的に考えていますけれども、個人的には。

さて、投票行動を起こすということ自体がけっこう心理的にストレスを感じるのではないか?というのが、わたくしの仮説であります。

投票所に行けば、投票しに行ったことがバレる。
バレるという言い方からしてアレだが、他人に知れると、
「だれに投票したの?」という風に聴かれる。
そんな他人の行動なんてだれも気にしてないとは言うものの、知れば聞きたくなる。
そうすると、しゃべらないと気まずい雰囲気になる。
なので、そもそも投票所に行っていなければ、投票する事はできないので、だから行かない。

では、逆に投票を恥ずかしがらずに堂々と行なえている人たちって、いったいどういう精神構造をしているのだろうか?

投票しないのは民主主義の権利を放棄した悪い大人だというレッテル、これもあるだろう。

でも、「受益者」であるということがそうさせる原因ではないか?
「行けばこうなって、自分にとってメリットがある、楽になる、明るい未来になる」というマインドと、
「行かなければこうなって、不幸になる。不利益を被る、何かを強いられる」というマインドと。
(でも、実際多くの場合、投票したからといって、ダイレクトにそうなるわけではなく、いくつかの複雑なプロセスを経て結果的に投票行動が反映されるわけで、ここにもトリックが潜んでいる。)

「行けばこうなる」のマインドセットの人は、投票するのは当然の行為である。
なので恥ずかしさといったものはないし、聴かれても自信をもって答えるだろうし、さらには人にも投票行動を薦めさえするだろう。

今回の都構想の住民投票は、一方で
「シンプルな」想いから行った「アマチュア」と、
「行けばとこうなる」というマインドセットを日頃から整理できていた「プロ」との争いだったのかもしれない。

ワンワードのシンプルな争点を示すと、浮動票を獲得できるという印象は、小泉劇場で既にご承知のことだとおもいます。
今回も、シンプルな仮想敵を橋下さんがイメージさせることができていれば、浮動票が取り込めてあるいは勝てたかもしれない。

結局、今回の都構想については、

「行政改革の手法にNOを突きつけられたのか?それとも改革されること自体にNOだったのか?」

という観点で総括しないと分かりにくいのではないかなとおもいます(下図にて説明)。
都構想マトリックス

もうひとつ、反対票と賛成票の差がわずか0.8%という僅差で終わったことで、双方にしこりが残るということであります。大阪市内で意見が対立する構図だけが残るというのは悲劇であります。
勝った方は都構想ではないやり方での行政改革を”幻の”都構想のロードマップに沿ったタイムスケジュール(制限時間内)で、ぜひ早く着手していただき実現してほしいと思います。

老舗のサバイバル術

タイトルは、あえて老舗と書きましたが(京都では、創業100年以上のお店に対し、”老舗”という呼称を認めているとうかがいましたが)、新たに起業されようとしている会社や事業体のかたにとっても、同様のことがいえるのではないかとおもいます。

⑴これから比較的長いスパンの需要が見込めて、

⑵ノウハウを使えて、あるいは自分の得意分野で、

⑶敵が居てない、あるいは敵がしばらくは参入して来そうにない
ビジネスが成功するのだというわけです。

しかしながら、それぞれの要素は当然ながら見誤るリスクがあるわけで、成功したビジネスというのは、ある種の思い込みや錯覚や知らぬ強みであったかもしれません。

それでも、やらなければ、はじめなければ、それは絵に描いた餅であります。

実現するというところまで、やり切れる自信や資本や機会に恵まれるためには、日々の精進と言ってしまえば、神頼み的ではありますが、それでもやっぱり一番正しい方法なのかもしれないな、とおもう今日この頃であります。

昨日の老舗学の講演を聴いての感想です。

  

人のすることにいつも反対する人への対処法

何か新しい取組みを試みたら、必ずといっていい程、批判が起こります。

では、なぜ批判は起こるのでしょう?
1)新しい事は、今まで無かったことなので、不安。
2)今の状態から何か変わるということへの、面倒くささ。
3)今の状態で既得権益を得ている人にとっては、新しい事によって既得権益が今より減るか、周りが利得を得てしまうことが、じぶんにとって損だと思う為。
4)新しい事を言い出した人が、単に嫌い。
5)新しい事が、どうも間違っていて、しかも自分らの生活に悪影響を及ぼす可能性が高いと思う為。
6)これらの複合系
こららの原因は、以下のように対処していけば良いのではないかと考えます。
1)今まで無かったことなので、何がどのように変わって、どう良くなっていくのか?当然デメリットやリスクも説明しなければなりません。リスクテイクできない人には、何を言っても無駄ですので、言うのは「リスクは私たちが取りますのでご心配なく」とだけでよいでしょう。
2)何か変わることで新しいことを身に付ける事こそ人生の醍醐味なのに、勿体無い。
このような考え方のひとには、どうしたら良いのか?今座っている椅子から新しい椅子へ移らせるには、1. 今の椅子をぶっ壊す。2. 新しい椅子に座らなければ生き残れないとアナウンスする。3.  新しい椅子の良さをアピールする。といったことでしょうが、「今座っている椅子は、いずれ悪くなりますが、新しい椅子に今すぐ移れば、得をします。しかし、今のうちに移らなければ、必ず不利益を蒙ります。」と説明すれば、この手の人はすぐに退いてくれるでしょう。
3)の場合は、はっきり言って、闘争ですね。妥結点を早急に見つけなければなりません。
4)のケースは、少数派であることが多いですので、基本無視でしょうか。しかし、世論を味方につけておく必要はあるとおもいます。
5)これが1番多いケースで、しかも悲惨なケースではないでしょうか。相手が正しくて、自分が間違っているのにも関わらず、突っ走ってしまう。聞く耳を持たない。
この手の批判は、実はやる前から分かっているケースが多いのですが、誰からも批判されない雰囲気がそうさせるのか。あるいは、内容に対する批判(より良い提案)をあたかも発案者への個人批判と受け取り、それを排除しようとする組織内政治力?がそうさせるのか。(何故か行政主導の案件で多いのは気のせいでしょうか?)
小さな例であれば、その不幸の影響も小さいのでしょうが、それが大阪都民(これからも市民のままですが)のようなケースでは、取り返しがつきません。
新しいことを拒絶しては変わりはしませんが、その内容についてはよく吟味しておく方が良いに決まっていますし、言ってる人の好き嫌いとかで決めず、めんどくさくても新しい事の是非でジャッジしてほしいと思います。そんなに時間もないですが、もっとメリット・デメリットを詳しく説明してもらいながら。

ネーミングって大事ですね。

今日は夕方からの約束が梅田界隈であったので、小雨のなか大阪へ。
ちょうど「カツカレー」の口だったのでお昼どきの混雑を避けて14時すぎに、雨に濡れぬよう地下街を通って阪急百貨店へ。
たべログで調べてみつけたお店。
いずみカリー

エレベーターは満員。しばらく待って、やっとのことで乗り込むが、HAL YAMASHITAさんの隣にそのお店はあった。

「なんだ、前に行ったことがある。」

というわけで、せっかく並んで待ったのですが、別のお店へ。
もうひとつ気になっていたJR大阪のエキマルシェにある「camp」というお店をチェックしましたが、
カレーの、しかも「カツカレー」の口になっていたので、ここはなんとしてもカツカレーをば。
とおもっていましたから、カツカレーがメニューにないことと、並んでいたことも手伝って、付近のカレー屋さんを探索。

で、『ビッグカツカレー』という看板が目に留まり、サンマルコへ。

ふつうにカツカレーだと860円のところ、960円ということで、単に大盛りではなくカツがビッグなんでしょう。楽しみです。
注文を聞きに来てくれたので、
「ビッグカツカレー」と頼むと、

『まだなんです。すみません。』という返答が。

「え!まだなの?(なら、メニューや看板にデカデカと載せんなよ!)なら、カツカレー。」ということで、一応当初の目的は達成いたしました。

サンマルコ

安定の味です。好きです。

しかし、ビッグというのに惹かれて駆け込んだせいもあって、心残りな感じが。
お会計のときに「いつから始まるの?」と、てっきり期間限定でまだフェアが始まっていないもんだとおもって訪ねると、
『そうですね、3時から限定20食、オープンのときも限定で20食ですので、できればオープンにお越しになってください。』との返答。

(なに?あと、15分もすれば食べれたの?なら、待つのに…)

満腹感とは裏腹に、なにか腹黒いものを感じてその場を立ち去ってしまいました。

味は好きですよ、サンマルコさん。

で、打合せはけっこう長くて、20時を回ってしまいました。
さて、何か食って帰ろうかとおもって、ふと「camp」のことを思い出し、そういえば「一日分の野菜カレー」っていうのがあったよな。一日分といやぁ、350gという量だし、なかなか摂れないし、最近ビタミン不足だし、といった様々な不安要素が頭をもたげてきて、先ほど通り道も予習した成果もあり、一目散に駆け込みました。

camp         ここでもしばし並びましたが、お客さんの回転がはやくて、10分もせずに着席。
着席してからオーダーしてものの数分で配膳。
最後の一口まで冷めずに食べれるので、熱くてやけどしないようにかきこまず、そして汗もけっこうかきましたが5分ほどで完食。
だいたい、わたくしの前に入ってたお客さんはわたくしが出ていくときには居ませんでした。
カレーは回転が早いなぁ、改めて思いました。
しかし、ここでも外国人対応がネックかな?外国人が駅チカやデパチカの惣菜や飲食店を利用するのが多く見受けられますが、店員スタッフの英語(もしくは他言語)対応がお粗末すぎて、支払時にトラブルというか、時間がかかってしまっています(今日みたケースでは、お客さんが「Pay(ペイ)」といってて(Checkといえばよかったのでは?とおもったが)、「支払」したいという意志疎通が叶うまで2分近くかかっていました)。

ツナガリストのアタマのなか

相手のニーズをキャッチするためにリサーチするというのは、実はナンセンス(というか、結局わけがわからなくなってしまいます)。
しかし、そうはいってもお客様のニーズと違えば、あなたの商品・サービスはまったく選ばれません。
なので、お客様に選ばれる仕掛けを施しておく必要があります。
その仕掛けの最たるものは「ネーミング」であります。
『名は体を表す。』
昔の人はよくいったものです。

ネーミングによって、相手に解釈させる。
『そうだ、一日分の野菜っていうことは、野菜たっぷりで、野菜がたっぷりということはヘルシーだし、一日分の野菜を摂らなけりゃ(きっと)身体に悪いだろうし(⇒ここがミソですが。)、いっぺんに一日分の野菜が摂れれば楽ちんだし、野菜がごろごろ入ったカレーというのは味もイメージできるし(そうハズレはないだろうし)、といった情報の処理作業が、わずか0.何秒のお店のPOPを素通りする刹那のあいだに済んでしまい、解が導きだされるのであります。「今日はこれにしよう!」と。』

一方で、居酒屋メニューのように、「だれだれさんが作ったなんとか風のなになに焼きちょめちょめ仕立て」といった長ったらしいメニュー提案は、座らせているという時点でかなり相手に状況判断の猶予を与えているので、ストーリー性がある方が尤もらしく思えて、実は陳腐なメニューも選ばれたりします。選ぶ楽しみとでもいうのでしょうか。
しかし、街場でしかも雑踏のなかでの素通りにおいては、「わかりやすさ」が求められます。

ちなみに、わたくしは最終的に『完全食カレー』というのを注文しましたがこれは行列で並んでいる最中にスタッフが手渡したメニュー表をじっくりと眺める猶予があったから、「そういえば、野菜カレーだけでなく、ここのもうひとつの売りにチキンカレーがあったじゃないか。一度に両方食べられるのであれば、お試しでチキンも添えておくか」といった勘定(プラス200円)が成立してのチョイスでありました。

カレーのような回転が大事(客単価は1,000円と、ラーメン屋さんも最近この位までいってますよね、ワンコインはテイクアウトが主流でしょうか、いずれにしても滞留時間が長くさせられない)なメニュー提案の業態では、いかに足を運んでもらえるかが重要なファクターであります。なので、素通りでも峻別できる情報訴求というのは戦略としてもっとも優先順位が高いといえます。

人間の意思決定のパターンにおいて、イメージしやすさというのは、ある言葉とそれに関連するワードとの相関関係の強さが影響しているのではないかと考えます。たとえば先ほどの、野菜がたっぷり⇒ヘルシーだ。とか、一日分の野菜というのを厚生労働省が(いつの頃からか勝手に)推奨したりしていることとか、厚生労働省が言っているのだから(たぶん)本当だし、摂らないと身体に悪い(のだろうし)⇒これなんか既に妄想ですが。
このように、相関関係を強くさせるのは、他者からの情報の押し売りによるのだといえます。自分が考えて導き出すと思っているのは、あくまで処理作業なのです。答えは、情報に晒されている度合によって異なります。いわゆるマスコミが流すメッセージは、相関関係を強くしたいがための情報の押し売りに過ぎません。逆に、野菜嫌いな子供にとっては「一日分の野菜」というのはおそらく拷問な為、ぜったいに忌避されるでしょう。

ふと「完全食」という言葉から、「アミノ酸の桶の話」を思い出しました。直接関係があるわけではありませんが、アミノ酸を摂取してタンパク質を合成していく人間の身体においては、最小摂取量のアミノ酸量によって出来上がるたんぱく質の量も決まるというもので、タンパク質をたくさん含む食事を摂るということだけでなく、アミノ酸をバランスよく摂ることも考慮しなければ、理想的な、すなわち完全な食事とはいえないということであります。

ちなみに、カレーを2食つづけて食べても平気なわたくしですが、何か?(笑

また来年!という愉しみ – スマステで採りあげられなかった幻の花菜漬け –

今宵はちょっと趣向を変えて、酒肴の話をば。

これがなんだか皆さんお分かりでしょうか?
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これは、菜の花です。

今日はこの菜の花の漬物「花菜漬(はななづけ)」を手に入れる為に、京都まで馳せ参じました!
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何故に、京都まで足を運んだかと申しますと、この「花菜漬」というのは、菜の花の開花前のつぼみの状態の芽の部分を漬物にしたもので、なんとこの季節だけでしか味わえず、しかも漬物屋さんの都合により、不定期販売!?なのであります。なので、その時期になれば毎日作ってるわけでもなく、「商売っ気のまったく感じられない」お漬物なのであります。
菜の花は開花してしまうと、味わいがなくなり、苦みが浮いてしまうので「開花の極々で」摘み取って漬けこまないと美味しくならないそうで、その収穫タイミングは結構難しいそうです(1日未満の時間差らしい)。

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作ってらっしゃるのがこの方、「京つけもの川久(かわきゅう)」の北尾さんです。
なんでも開花した菜の花の状態で漬けたお漬物もあるそうですが、川久さんところではやってないんだとか。

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そして、今回この花菜漬を使ったおはぎも販売されてました。ちょうどお彼岸ですものね。

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ほんとに商売っ気のない店主(笑
なので、おはぎと、花菜漬をゲットいたしました。

ちなみに、このおはぎは北尾さんの奥様のご実家の和菓子屋さんで作られてたそうです。
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和菓子の「嵯峨嘉 (さがよし)」今回の「花菜おはぎ」製造元。嵯峨嵐山駅から歩いて10分くらい?
お店自体のHPは無いようなのですが、いくつかネットでは紹介されている老舗のようです。
http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260403/26011615/

きょうとあす TOP 目的地を探す 嵐山・嵯峨野・桂 嵯峨嘉
http://www.trip.kyoto.jp/spot/db/sagayoshi/

京都府京都市右京区嵯峨広沢御所ノ内町35-15
TEL 075-872-5218
営業時間 8時〜20時(日曜〜19時30分)
定休日 水曜

ヒトサラ > 京都府 > 桂・嵐山 > 嵐山/嵯峨野 > 嵯峨嘉
http://hitosara.com/tlog_26011615/

御菓子処 嵯峨嘉「栗おはぎ」名取裕子さんのおめざ
http://omezafan.blog.fc2.com/blog-entry-2415.html

これだけ取り上げられているということは、おはぎの味も期待感が自ずと高まってしまいますね。

さっそく食べてみると、

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中にも花菜漬を刻んでおはぎに混ぜ込んであり、しょっぱさと甘さが絶妙な塩梅でした。
ものすごく、自然な甘さでおそらく何個でも食べられるくらいのやさしい味わいです。今度は嵐山のお店で、紫蘇もちを食べてみたいです!

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「花菜漬」はお酒のアテになりますよ!と、ワインソムリエでもある川久さんに薦められたのもありまして、前回チャリティーカットでお手伝いした神戸・岡本のSynergyさんところからいただいた白ワインと合わせてみようかと思い、封を切りました。

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一応、お漬物のお奨めには「とろろをからめて…」とありましたが、今回はずぼらして、だし醤油を垂らして戴きました。

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今日もご縁つながりのおかげで、美味しいものを戴きました。ありがとうございます。

ツナガリストのアタマのなか

「旬というのを感じ、そして次に訪れる旬を待つ愉しみ。」

大量生産の品質管理。という当たり前の消費社会と真逆の「その日必要な分だけをその日のうちに召し上がる」という食文化。

実は、安定供給が実現している世の中だからこそ、余裕をもって楽しめるのではないかとおもいます。
なので、いまの食品産業に関わる多くの方々の日々の研鑽によって成り立っている食の流通社会を否定するつもりはございません。
また、バレンタインデーとか、クリスマスといった商業的に作られた催事のピーク需要を肯定するつもりもございません。

ただ、「足るを知る。」であったりとか「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」といった昔からの格言をふまえつつ、
誰にとっても普く供給される社会というのではなく、「無ければないなりの生き方」だったり、「今の旬を惜しみつつ、次の旬を待つ愉しみを糧に生きる」といった思想をもつことが、これからの行き過ぎた大量消費社会の振り子を戻す第一歩となるのではないかとおもったりしています。

春の植物のもつ特有の”苦さ”が
『このままでいいのかい?』
と問いかけているようで、ふと目を覚まして思い立った次第であります。

あまり期待しないで臨むことの効用

 先日、あるセミナーにてインターンシップ(大学生が就職前に企業へ就業体験をする制度)について、学生が「あんなもの何の価値もない」「体験してもまったく得るものがなかった」という意見を持っているという話を聴いた。もちろん、「すごく為になって、将来はこの企業で働きたいな」という好印象を持ち帰った学生もいるんだそうだ。

 別のある教授は「勤務期間が長くてモチベーションが高い社会人というのは、会社においても高いパフォーマンスを発揮するのだが、その傾向は学生時代にインターンシップで好体験をした人が多くみられ、逆にモチベーションは高いのに勤務期間が短くなってしまう社会人は、会社でのパフォーマンスも高く、転職を繰り返してしまう傾向があると。

 いわゆる履歴書にキャリアパスが多いほど賛美され、キャリアアップして行くのを是とするアメリカでは、新入社員に「まず貴方は何ができるのか?」を求めるので、日本のように新入社員をOJTなどで仕事を学んでもらって、十分な人事教育費をかけてからパフォーマンスを発揮してもらう(=会社が鍛える)のとは180°違う。
 その日本において、「キャリアパスが多いことはキャリアダウン」になっているという現実があることから、学生さんに3年間は就職先にしがみついてみなさい!と申し上げるそうだ。せめて3年間で「仕事」ができる社会人となってから転職してほしいという願いであろう。

 この話を聞いていて、インターンシップというものの企業側の意識も低いところが多いのではないかとも思った。インターンを「仕事を習熟させるにはあまりに短いのにお仕着せられ」、「こちらの準備に費やす時間がもったいない」、「無料の労働力」、「将来のお得意様」という風にしか見られない企業担当者は、「適当にあしらう」か「当たらず障らず」かしか選択肢がないのだろう。しかし、それは大きな思い違いであり、インターンシップには十分コストをかけた方がそれに見合ったゲインは(日本社会全体に)あるという「利他主義」の精神で取り組まねばならない。まぁ、大学は企業の為の職業訓練校ではないという議論もあろうかと思うが、労働力の供給源であるということは就職率が大学受験の選択基準であることから好むと好まざるとを得ず、大学の存在理由である。

 一方、送り出す学校側もインターンシップの窓口担当を片手間でやったりするのではなく、学校経営の根幹部分を担う重要なポストであるという認識で取り組まねばならない。というのも、インターンシップで何がしかの成果を持ち帰った学生の就職内定率およびその後の仕事の定着率は格段に高くなるという結果が得られているからだ。これはとりもなおさずその大学が受験生(およびその親御さん)に選ばれる対象となるし、企業側からも優秀な人材供給源として評価されるということ、さらには社会人としての能力が高い学生が就職することで企業での生産性が向上するのは、日本社会全体に大いに貢献するであろう。

 なので、受け入れる側の企業と、送り出す大学側が、インターンシップについてよく理解し、学生にその意義を事前に理解させておくことが重要である。
 つまり、大学は「(仕事を)やり遂げる難しさ」を事前説明しておくべきである。そもそも仕事は厳しいもので、教えてあげた事だけで完璧にできるわけではないという事実。

 下のグラフは、そのことを示している。
予備知識なしに放り込まれた学生はインターンシップ先の企業のブランドイメージや、インターンシップ自体の淡い期待を100%として、与えられた仕事をこなそうとするのだが、与えられた仕事の内容もそうだし、インターンシップの期間も概して短い(1週間、最長で4か月)ので、得られる経験も少ないし、価値も見出し難い。だいたい、それは先ほどの無知での期待度マックスにくらべてだいたい20%くらいであろうか(この辺はあくまでも感覚的なたとえであり、実測ではないが概ね低いというのに異論はないのでは?)。
しかし、「仕事は厳しいもんだ。でも、それを一度実体験させてもらってた方がゆくゆくは参考になるぞ」という理解の元で臨むと、この場合最初から期待度20%くらいでいくわけで、そんな中での些細な経験が自分にとっては十分満足できる価値となったりすると、この学生は非常に良い体験をさせてもらったと思うわけで、その上で自分に足りなかったものとかも謙虚に振り返ることもできるのであろう。だからその学生にとっては、20%が100%にも感じられるわけである。
経験によって得られる効用はそんなに高くはないけれども、ゼロではないし、それを過小に評価するか、それとも過大に評価するかは、経験を得る前の心構えが何より大切であるということをグラフに示した。

【ツナガリストのアタマのなか】

 そんなに簡単に得られないものだという先入観で臨めば、意外と得るものがあったと感じれるし、納得もする。
それに(自分に)足りなかったものが何かということも気付くので、それを補おうと自らが行動するようになる。
教育というものは、詰め込んだものを単に出力するというものではなく、自分で知りたいとおもった事柄を集めて、頭の中で整理して、組み合わせたりして”自分の言葉として”アウトプットできるようになる姿への到達過程を、どうやって気づかせ、定着させるかであると思います。
なので、学び方を学んだ人間は、これからの人生に、その学びがプラスに働くわけです。

経験によって得られる効用はそんなに高くはないけれども、ゼロではないし、それを過小に評価するか、それとも過大に評価するかは、経験を得る前の心構えに左右される

大きな仕事をやりたいというのは人の常?

大きな仕事をやりたいというのは人の常?

大阪都構想、住民投票の権利が無いし、大阪市のことだから私ら関係ないわ。
という風に思ってしまいがちですが、これは大阪だけの問題ではないということです。
大阪は関西だけに留まらず、日本の第二のエンジン(ダイナモといった都知事さんがいらした)だとおもいますので、ここがトラブったら日本は非常に脆弱な状態となります。
(名古屋がありゃ~なも、という声があるかもしれませんが、大阪は東京のサブサイトという位置づけだという認識は一般的ではないでしょうか)

でも、なんで大阪市を解体したらトータルメリットがあるのか?そこが見えてこない。
見えてこないのは、「見せたくない」からだといえばちょっと勘ぐり過ぎですかね?

市議会議員や市役所の役人からみたら、大阪市という「スーパー」都市の仕事をしているというのは、自慢だろうなと。それの予算規模が小さくなるということは、自分らの仕事が小っちゃくなるという風に感じてしまうんだろうから、(心理的に)反発するんだろうなと。

しかし、できるだけコストをかけずに最大多数の最大幸福の実現というのが地方自治体の命題だとすると、コストダウンすべきところはすべきだと考えます。

他方、一般企業でコスト増で赤字になったとしたら、役員たちは自分らの会社の売上規模が小さくなることもさることながら、潰れてしまうことになったら身分保証がなくなってしまうわけで、そのためのコストカットは止む無しだと思うのであって、ここが行政改革と一般企業の「経営」の違いだといえます。

また、国家財政は赤字を1,000兆円も抱えるといわれていますが、社会保障費がこれから益々増えるといわれ、その穴埋めのために、消費税が宛がわれるといわれています。
しかし、消費税が増税されても国家財政は健全化されず、むしろ歳出は増えて100兆円の国家予算となっています。これって、おかしくありませんか?
財務省の官僚といえば日本で一番偉い人たちが担っているというイメージですが、そういう人たちも「わたしたちは大きな仕事をしている」という自負心がおありかと存じますが、人の仕事の大きさは、しょせん回している金額の多さに比例するということなのでしょう。異論はあるかと存じますが、実際クリティカルな指標であるのは間違いありません。
だとすれば、大きな仕事をするということにロマンを感じ、自己のアイデンティティ確立の手段と化している方々にとっては自らの仕事の予算規模削減=コストダウンというのは、自己否定にも等しい、もはや耐えられない屈辱なのでしょう。だから決して自分たちのテリトリーは侵されたくはない。消費税でもなんでも税収が増えることはウェルカム、ただしピケティ氏が語る累進性の所得税増税はノーサンキュー。

【ツナガリストのアタマのなか】
大阪市役所のムダがあるとして、そのムダが人件費だとすれば、
1.公務員の数は削減せずに、公務員の給料を下げる(人件費は経費として目立つので)。
2.公務員の数は削減して、余ったお金で残りの公務員の給料をその分上げる(人件費は従前まま)。
3.公務員の数は削減して、公務員の給料も下げる(公務員の仕事量は増大し、コスパは低くなる)。

わたくしは、これらいずれも採るべきではないと考えます。
1.は、公務員のやる気が失せて、住民サービスの低下へと跳ね返ってきます。
2.は、公務員の数はむしろ増やさなければこれからの住民サービスには対応できない。
3.は、言わずもがな、将来にわたって公務員のなり手が居なくなります。

なので採るべき施策としては、
4.公務員の定員も増やし、給料も上げる。その代わり、定年を40歳までとする。
であります。
これならば、優秀な人材も積極的に仕事をこなし(キャリアを積んでもらえば、部内出世の道も残し)ますし、そうでない人材も(真面目にコツコツやるタイプも公務員には必要ですし)40歳までは十分忠誠を誓って奉公していただけるでしょうし、なにより雇用が増えて失業対策にもなります。それにこれから必要とされる福祉・介護などの細やかな住民サービスがマンパワーによって担保されます。
それで仕事人としてのキャリアを公務員として積んで、さらなるキャリアアップを役所内で目指すか、民間企業へ目指すかは40歳のときに決められるとすれば、行政としての人材確保も保たれる上に、公務員でキャリアを積んだ人材が若くして民間企業に天下りするわけで、民間企業にとっても脂の乗った人材を今までより安くリクルートできるという意味においてもメリットがある。まさに住民・行政・企業の三方よしであります。
40歳から60歳までの20年間に支払われる給与・賞与の額を、若年層への雇用創出(なんせお役所は景気に左右されない超優良企業なわけだから)、能力ある若者へ厚待遇すれば、ひょっとすると公務員で40歳までのあいだにキャリアを積んで、起業家になるもよし、天下りしてもよし、そのまま役所に残ってトップを目指すもよし、アーリーリタイアメントでセカンドライフを過ごすもよし(若くして60代の給与水準を20年間もらえる方が得と考える人もいる)。ともかく優秀な人材は若いうちに社会還元すべきだし、公務員という安定した身分保障というものは、…世の中そんなに甘くないんだから。

なので、公務員改革は天下り大賛成、給料値上げ大賛成、人員増大賛成、しかし定年40歳制の導入。
これがあらゆる行政改革(総コストを下げて、住民サービスを決して落とさない)に通ずる妙案だとおもいますが、いかがでしょうか?

そうすれば、今のような都構想みたいな問題も、今の仕組みに固執する人たちにとっても何ら揉める問題にもならないと思いますよ。

0⇒1をやってのける方法

0⇒1をやってのける方法

これが一番難しい。
これさえできればとりあえず前に進む。
でも、これが大変。
では、どうすればいいか…。

確実に1個獲れる条件とは何かを考えてみる。

たとえば見渡す限り全く何にも無い広大な荒野のなかで、
獲物を捉えなければならないとしたら、どうすればいいか?
そもそも論として、そんなところに居たら飢え死にしちゃうので、
およしなさいということになろうかと思うが、…
まずは獲物を見つけなければ始まらない。

架空の話として)狩りを初めて行う少年にたとえてみよう。
少年は狩りの方法を先輩である父親から学ぶ。
最初はお父さんのやり方を後ろから見ているだけ。
そのうち、獲物を見つけたら、息をひそめてそぅーっと近づき、
息を殺して弓を引き、狙った刹那、矢を射る。
という動作は見よう見まねで覚えます。
しかし、どのタイミングで矢を放てばいいのか?近づき方は?狙いの定め方は?
いくつかのステップについては、実践したことがないのでわかりません。
さらに根本的な問題として、
肝心の獲物が居る場所をどうやって見つけるか?はまだまだ分かりません。

標的と自分との距離をものすごく近づけてみないか?

この少年がはたして狩りを成功させる為にはまずどうしたらいいでしょうか?
コーチしてみてください。

【わたしのアタマのなか】
まずは獲物が目の前に居たとして、その獲物を確実に射抜くことを経験させます。
これはショートタイムを何度も反復練習させます。
そして、失敗と成功といった”経験”をできるだけ多く積ませることを目的とします。
そうするうちに、失敗を怖れないようになり、成功の頻度が上がります。
この成功の頻度がある程度向上すれば、反射的に獲物が見えたときに射ることが可能となります。
これが第1ステップ。

つぎに、獲物がどこに居るかを嗅ぎ分けるなのですが、これははっきり言って短期間では無理です。
早道はありませんのであきらめてください。
なので、どうすればいいかというと、
「自分との距離が一番近い獲物はどこに居るのか?」ということを真剣に考えてみて下さい。
言い換えるなら、「あなたの身近な人を実戦に使ってみてください」ということです。
でも、本当に射たら死んじゃいますよね。なので、失敗してもいい人を選んでくださいw
なかなか見つからないよ。という方は、…
「こちらが失敗しても何の損も負わない、それでいて世の中でうろうろしている人」で試してみてはいかがでしょうか?

あ、ちなみにこれは人狩りの話ではなく、マーケティングの話ですので、ええ、お間違えなきよう。


逆に、見るからに美味しそうで、匂いもプンプンしているお肉をぶらさげていると、
遠くからその匂いに誘われて、ハイエナたちが群がって押し寄せてくるという場合もある。
(そのときにはあまりの殺到に、自らも食いちぎられてしまうおそれがあるが。)
それくらい、素晴らしいと遠くからでも分かり、実際に欲しいと思う状況(餓えて何も無い砂漠)が揃っていたなら、「どんな商品でも引く手あまた」である。

なので、考え方としては先ほどと違って、
素晴らしいというのがその商品を体験していなくても納得できるだけのエピソードと、
餓えているハイエナがたくさんいて、しかも餌が無い砂漠がどこかわかれば、
確実に)売れる。ということ。

では、納得できるだけのエピソードとはどうやって?
つづきはまた今度。