ソーシャルレンディングとは(by Wiki)

(備忘録として)

ソーシャルレンディングは、知っている人同士と知らない人同士の融資にまず分けられる。知っている人同士のサービスは2002年よりVirginMoneyが開始した。知らない人同士の融資は、さらにマーケット型とオークション型に分けられ、マーケット型はイギリスのZOPA(2005)、日本ではAQUSH(2009)とSBIソーシャルレンディング(2011)、オークション型は米国のProsper(2006)、Lending Club(2007)、日本ではManeo(2008)といったサービスが存在している。
日本では貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、知らない人同士の融資仲介形式となる場合、匿名組合出資契約を募集するための金融商品取引業の登録も必要になる。

≪日本で展開している主なソーシャルレンディング≫

30年ぶりに人と語らう。

珍しく、というかほぼ初めてに近いかもしれないですが、

このブログにて日々の雑感なんていうものを書いてみたいなと。

今、SNSのチカラを感じております。

しばらく音信不通だった人と、SNSを通じてやりとりすることがありました。

しかも30年ぶりの友人と…。

全く会っていなくて、連絡手段もなく、しかもそれぞれ全く別の道を進み、
その道のりがどうであったか全く知らないまま過ごしてきた30年ですので、
ある意味、知らない人といってもいいくらいの関係でしたが、
偶々共通の(ということも偶々会って話してみて分かった)友人との、これまた20数年ぶりの再会によって、
Facebookをしているということが判明したのがきっかけでした。

相手のFacebookを見ると、断片的ではありますし、最近のことしか分かりませんけれども、
急に近しい感じがしてきましたので、
相手はわたくしのことなんか憶えていないだろうけど、ダメ元でメッセージと友達申請をしてみました。

すると、すぐに友達承認と返事が…!
すぐさま連絡を取り合い、30年ぶりの声を聴きました。
そして大いに語り合いました。

今度逢う約束も致しました。

とても楽しみです。

Think unthinkable

FBページに以下のような抜粋がありました。
<以下、無断転載>

(村上) 
 そういえば、江崎先生には、
 ノーベル賞を取るための五か条という
 有名な言葉がありますね。
 お話を聞きながら、いまそのことを
 思い出していました。

(江崎) 
 ああ、あれは私が1994年に
 国際会議で話した内容を、
 ノーベル物理学賞の選考委員が聞いて、
 スウェーデンの物理学専門雑誌に 「江崎の黄金律」として
 発表してくれたものです。

このブログでは、最後まで書いてませんでしたので、ググってみますと、こちらのブログに最後まで書かれてありました。
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江崎の黄金律

  1. 今までの行きがかりにとらわれてはいけません。しがらみを解かない限り、思い切った創造性の発揮などは望めません。
  2. 教えはいくら受けても結構ですが、大先生にのめりこんではいけません。のめり込むと、権威の呪縛から逃れられなくなる。自由奔放な若さを失い、自分の想像力も萎縮します。
  3. 無用なガラクタ情報に惑わされてはいけません。われわれの能力には限りがありますから、吟味された必須の情報だけ処理します。
  4. 想像力を発揮して自分の主張を貫くためには、戦うことを避けてはいけません。
  5. 子供のようなあくなき好奇心と、初々しい感性を失ってはいけません。

  ──────読売朝刊連載記事「科学と技術 江崎玲於奈」より抜粋
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江崎先生は、”Think unthinkable”
つまり、『考えられないことを考えなさい』ともおっしゃっておられるそうです。考え抜く努力、これこそが重要であると。

状況の開発 -商品開発が担う範囲とは-

毎週届けられるメルマガで、特に印象的だった部分を備忘録として記します。
≪以下、無断転載≫

・どのような状況の下でその新商品は売れるかを追求し、その状況を
 開発すること
・どのような社会との関係を持つことでその新商品は売れるかを追求し
 その関係を開発すること

 iPodが売れたのは、屋外で歩きながら音楽を聞くという状況が一般的
になっていたからです。その状況はウォークマンの普及によって既に
開発されていました。状況の開発とはこうしたことを言います。

 ハーレーダビッドソンの大型バイクが売れたのには、大型バイクで
ありながら、騒音を小さくすることによって、愛好者の家族や近所の
人たちにとっても親しみやすく、受け容れやすくしたことが大きく貢献
したようです。社会との関係を開発するとはこうしたことを言います。

 商品開発の実行プロセスの中で想像力を働かせて、ウォークマンが
開発したような類の状況に想いを巡らし、情報収集をしたり、社会学や
民俗学の視点も取り込んで社会の推移の先読みをしたりして、どんな
状況を開発したらよいのかを検討するのです。

ハーレーが低騒音の大型バイクを開発した際に設定した開発目標、即ち
家族や近隣社会との良い関係を作る、といった類のことに想いを巡らし
社会との間にどのような関係性を作るべきかを検討するのです。

改善実践考房より

「商品を売り出す」というところまでであった商品開発というプロセスに、新たに加わったのがこの”状況の開発”であるというわけです。
これまでは、状況自体が右肩上がりの社会であった為、特に意識されることが少なかったということなのかもしれませんし、マスメディアでの露出による“プッシュ型”の広告手法により、市場が呼応していたというのもあるのかもしれません。
社会との関係性やその商品が貢献する社会といったものをイメージして、そのあるべき姿を創造するということも含めての“商品開発”がなされていく。
プロダクト志向、お客様志向、に続いて、社会志向とでもいうべき新たな観点が求められているのだとおもいます。

成功するネットショップ 集客と運営の教科書(書評)

昨日発売されたということで、さっそくポチッと。

しかし、今回はJPさんが配送するということで、今日の何時に届くかがWEBサイトからは分からない…なので、直接最寄りの郵便局へ問い合わせのTELを。

とても丁寧に受け答えて下さいまして、折り返し電話にてご連絡しますとのことでしたが、結構待ちましたね(15分くらいでしょうか)。たぶんドライバーの方との確認に手間取ったのでしょうか?

ともあれ、配達時刻がだいたい分かりましたのでそれまで待ちましょうということで夕方まで待っておりましたところ、時間より少し早くに届けて下さいました。なので、先ほど読了できました。ありがとうございます。

さて、本の中身についてですが、マーケティングの基本的な考え方を丁寧に説明されていたので、これからネットショップを初めてみようという方には非常に読みやすいのではないかと思います。
成功の秘訣と、失敗しないコツというものを教えてくださいます。
まさに帯に書かれている「とっておきのテクニック、教えます。」という感じです。

なかでも眼から鱗だったのは、「商品はマネできてもコミュニティはマネできない。」というところでしょうか。
USP(Unique Selling Proposition;お客様に対して自分だけが約束できる価値の提案)とよばれるものを何度も繰り返しアイデアを練りながらブラッシュアップしていくことに労力を費やしなさい(頭をひねるのはタダですから)というのも大事なところだと思います。

(揉めちぎってもアレなんで…)ネットショップは実店舗に比べ投資が少なくて済むメリットがあるのは確かなのですが、そのなかでカートシステムや決済手数料のところについての費用やサービス選びのアドバイスについて触れられていなかったようなのが、ソレ以外について丁寧に記述されていたのと対照的でありました。

【書評】ネットショップの打ち出し方のようでいて、すべての商売に通じる部分でもあるので、これから何かご商売をされる方にとってもオススメです。・・・★★

Photoshopで画面をズーム(Zoom)させるときのショートカット

今更ながら、備忘録として…。

いつも難儀やな、と思っていたのですが

そして、きっと存在することは把握していたのですが、

いままで調べようとはしませんでした。
(どうせ、調べても使わずにいるとすぐ忘れてしまうので)

で、今回はちょっと時間もアレでしたので、

ググってみました。

photoshop 画面拡大 ショートカット”によると、

Z →クリック:ズーム拡大

Z → Alt + クリック:ズーム縮小

Ctrl + 「+」:ズームを使わずに拡大

Ctrl + 「-」:ズームを使わずに縮小

これは、便利!ww

他にも、“知ってると便利なPhotoshopのショートカットのまとめ”なんていう、まとめもありましたのでご参考まで。

Ctrl + 「T」:自由変形

でも、本題はこれではないんですけどね。

Facebookでブログの記事をポストしたときに、アイコンが自動表示されますが、そのときのアイコンがブログのイメージを全然表していないので、それを何とかしたいな、と思ってまずは画面のキャプチャーをしておこうと思ったのがきっかけであります。

この件につきましては、結果が分かり次第ご報告差し上げます。

The STAP can’t STOP…

ご本人が出てきて会見することで収束するのか…

(今回は引用するWEBサイトのリンク等は端折っちゃいました。スミマセン。別に無断引用に配慮したわけではないですよ、ただ面倒くさかったからだけですw)

博士論文の序説(研究の背景・歴史)の部分の盗用疑惑→これ、コピペはいかんよ!という指摘は御尤もなんですけれども、歴史の出来事についての説明というものは、誰が書いてもさほど変わり映えしないというか、そういうところに独自性を求めるものでもないので、本筋は研究内容におけるオリジナリティであるからそこに注力すべきで、ネイティブでない日本人が20ページも英文を創作するというのは「効率的」ではないという判断はある意味”賢い”のではないでしょうか?

で、小保方さんが書いたとされるNatureの論文(もちろん共著)なんですが、なぜあんな取り違えや切り貼りをしたまま、掲載させちゃったんでしょう?
ここから先は、あくまで空想の産物なのですが、

理研というスポンサーのグラントに群がる研究者、iPSによってそれまでの地位が逆転したため焦った研究者、そして研究者としてのトレーニングが足りないが強かな研究者。
これら三者三様の「研究者」たちが織りなした壮大な虚構なのではないかということです。

もしそうであるとするならば、小保方さんも駒のひとつに過ぎないですし、彼女が本当のことを言える立場ではないとおもえます。
なぜなら、彼女のプライドもあるでしょうし、この壮大な虚構について誰が画を描いたかという確たる証拠がないでしょうから。

さて、真犯人は誰か?この場合、刑事ドラマの定番である
この一件で得をするのは、誰でしょう?
ということを推理してみれば、おのずと答えがわかりそうな気がします。
バレなければ、三者とも得をしたわけでありますが、この中で「バレても得をする」人たちがいます。それは理研のグラント(科研費)で報酬を得たであろう研究者たちであります。何しろ結果がどうであれ、返還義務はないのですから(※)。
※告訴対象にならないと思いますよ。だって自分たちは決して”手”を動かしてないですし、却って自分たちも論文の被害者だとさえ言えるんですから。
研究者を称賛しながら叱咤激励しつつ、ただ単に無言のプレッシャーを与え、研究者への悪魔の囁きを待つ…そんな老獪なツワモノと、(本人の本意であるなしにかかわらず)簡単にリケジョと祀り上げられてしまう若者とでは、役者が二枚も三枚も上のような気がいたします。

そして、STAP細胞は本物なのか?という疑問も残ります。
しかし、STAP細胞の着想自体はむしろ昔から唱えられてきた説でありますし、現在証拠が見つからないからといって、将来にわたっても偽物であるという保証はどこにもありません。これからも、仮説の命題である「STAP細胞であるならば、全能性を有していて、なおかつ過去の細胞の履歴を遺伝的に有している。」ということを証明できる実験系を編み出し、実験すればいいのでしょう。むしろ、この件で研究熱が冷めてしまう、まるで常温核融合みたいな結末となるのが不幸といえば不幸でしょうか。

科学者の倫理観というものが問われているこの問題。
倫理観の欠如といわれてしまうと、それは科学者業界だけではなく、社会全体が等しく抱える問題であるとして取り扱うべきだと思いますし、今回はあまりにも皆さんの記憶に新しくて容易にトレースできちゃいますけど、報道している各社も「上げて、落す」というのは倫理観があるのですかね?と問いたいと思います。マスコミにも「情け」ってないですかね?

STAP細胞はどこへ消えた?

前回、称賛と興奮とともにアップしました「iPSを超えた!?といわれる新たな万能細胞「STAP細胞」の開発にみる当世研究者事情」。

しかし、現在は、こんな感じですね。

STAP細胞 小保方さん、再現実験に成功 論文発表後初めて2014.3.6 msn産経ウェブニュース

STAP細胞「確信なくなった」2014.3.9 NHKウェブニュース

【衝撃】理研・小保方晴子氏のSTAP細胞論文の捏造がほぼ確定か 著名研究者らによる失望ツイートまとめ←今ココ。

なかでも、サイエンスライターの片瀬久美子さんのツイートは決定的ですね…

“片瀬久美子@kumikokatase
しかし、STAP細胞の多能性を示した肝心のデータであるNature Articleの図2dと2eに画像流用の疑いが出てしまいました。これらのデータを元に、STAP細胞と命名された大事なデータです。本当に残念です。http://stapcells.blogspot.jp/2014/02/nature-article.html

疑惑に対する糾弾が衰えない構図というのは、だました方が悪いんだ!という風潮なのでしょうが、騙した奴を正しく裁けない世の中の仕組み自体に制度疲労というか、問題があるような気がしてなりません。

ま、まだウソと決まったわけではありませんので、注視したいとおもいます。

っていうか、特許絡みの研究成果について、なんでも包み隠さず開示する必要があるのだろうか?と思ったりしますけどね。ある意味、国家機密レベルでしょ、本当だとしたら。

Google先生の画像検索による人物の特定は難しい。

知り合いの会社に掲げてある何十年前?のポスターの女性。
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貼ってある会社の関係者ですら、「誰だっけ?」というくらい分からないので、ここはGoogle先生の出番ということで、いざ検索。

すると、
test1

ブ、ブーーーーー!

ちょっと色褪せてしまっていた感じを引きずったのでしょうか?青色がかった画像が多いような気がいたしました。

そこで、背景の海をカットして、さらに人物の肌色を少し強調してみることにして、
test

検索!

test2

うーん、今度は背景が白バックとなった為、余白の多い画像が選ばれてしまいましたね。

では、顔をクローズアップさせてみて、背景の影響をなくしてみることにしました。
kao

検索!!

test3

うーーーー、ちょっとだんだん遠くなってきてます?
ほぼ外国人。

Google先生の威力をもってしても探すことは難しいのでしょうか?

しかし、ロジック的なものもなんとなくわかってきたような気がいたします。
色情報の面積比がキーとなっているということですかね、人間の顔における色情報のパターンみたいなものが多くインデックスされているということなのでしょうか。まぁ、そのものずばりのものがネット上に過去にアップされていないと特定することは難しいでしょうし、タレント名鑑のようなソースは肖像権とかが解決してるのかも問題ありそうですし…。この方はきっとタレントさんなんだと思いますので、その当時のタレント名鑑みたいなものがソースとしてネット上にアップされていれば、特定可能かもしれません。

ガレキとラジオ

日々過激なニュースが多い今日この頃ですが、このニュースはさすがに看過できませんでしたので、採りあげたいとおもいます。

経緯については、詳細をご覧いただくとして、
『“ドキュメンタリー映画”であると称して、東日本大震災の被災地ではじまった災害FMの活動を取材し、発災後の災害FMの役割と、それに携わった被災者でもあるスタッフの復興への道のりを映像に記録することで、震災を“風化”させない。』というテーマがあった映画だと個人的には捉えました。
で、
・“ドキュメンタリー”であると謳っているのに、出演した女性のシーンが“やらせ”だった(彼女が住む仮設住宅にはFMは入らないのに、ラジオを聴いているというシーンがナレーション付きで流れた)。
・FM局のスタッフは、局のリーダーが集めたという紹介だったが、(博報堂による)映画撮影スタッフが募集した。
ということが取り沙汰されています。

なぜ、いまごろリーク(暴露)されたのでしょうか?
震災から3年という節目を迎える前に、どうしても本当のことを言っておきたかったのでしょうか?

奇しくも、ソチオリンピック前に、ゴーストライターの方が告白したのと同じであるのは単なる偶然でしょうか。

これと関連して、最近の風潮として「欺かれたことに対する怨嗟の渦の凄まじさ」というものが挙げられます。
確かに騙したほうを断罪することは社会的に必須であるでしょうが、そのために司法があるわけでそこへ委ねるというのが筋ではないかと。
そこで掬い取り切れなかった罪について、社会的制裁を加えるという心情は十分理解できます。
しかし、それを匿名、実名問わずSNS上で徹底的に糾弾するというのは、何か行き過ぎた社会環境であるなと思わざるを得ません。
当事者でないからそんな他人事のように言えるのだとおっしゃるかもしれませんが、まさに他人事だからこそ、糾弾すべきではないと思いますがいかがでしょうか。

さて、話を戻しますと、
監督とディレクターは、ドキュメンタリーでは許される範囲内での「演出」だという認識だった。と釈明しているようですが、
それを受けて、ナレーションを担当された役所広司さんは、「二度と上映されるべきものではありません」とおっしゃっています。
おそらくこれを受けて、映画プロデューサーは、上映中止を決定したそうです。

この映画のFacebookページには、たくさんのコメントが寄せられていますが、いくつかの意見に集約されます。

1)ドキュメンタリーなのに、“やらせ”をするなんてガッカリです。
2)せっかくいい映画なんだから、”やらせ”部分をカットして、再編集し上映すべきである。
3)“演出”が入らないドキュメンタリーなんてそもそも撮影するのは不可能。なので、どこまでが演出なのかの線引きが必要。
4)映画を通して風化を防ぐだなんておこがましい。これで上映されなくてよかった。
5)功名心とかなかったのでしょうか?被災者を食い物にして、さぞや儲けたことでしょうね。
6)被災者、ならびに映画に関わったすべての方の厚意を台無しにしてしまったのではないでしょうか。

わたくしの意見は、
・ドキュメンタリーに演出はどうしても介在してしまうし、その加減は監督のセンスに関わる。
・ドキュメンタリーであろうがなかろうが、感動する映像であればそれでよい。
・今回は、被災地の映像など震災の悲惨さを想起させる場面があり、想い至る部分も多少あったのは事実だが、ドキュメンタリーとしてのクオリティーはそんなに高いものであるとは思えなかった(感動しなかった)。
・”やらせ”をやってもその程度というのは、作品を制作した当事者として監督はどう感じているのだろう?
・LIGHT UP NIPPONのドキュメンタリーでもそう思ったのだが(あれも博報堂だ…)被災地に乗り込むときにハンディでもう映像を押さえてあるというのは、手法としてはわからないでもないが、心情的には「被災地の為に来ました」という風にはどうしても捉えられない。
・被災者、ならびに映画に関わったすべての方の厚意を台無しにしてしまった事等を鑑みると、本当の意味で、「映画」を撮ろうというのに対して全くのアマチュアだったということなのだろう。
・上映中止の決定理由が「役所さんがダメ」といったから。だとしたら、映画を作った最初の想いであるはずの「震災を風化させない」は、いったいどうするの?と言いたい。むしろ、そういったダメだといわれた部分もカットせずに上映するべきである。

中止を決めるのは、観客の方であると言いたい。