撮って送る。だから「トッテオクール」

あーっ、やられたな…
正直な感想です。
アイデアレベルでは既に同じ仕組みづくりを構築できていました。
トッテオクール
http://totteokuru.com/why/

よく見てみると、理念についても、まさにわたくしが気仙沼の雇用創出の為に、在宅者(主婦)にこそ可能な仕事をと考えたこととも同じくします。

後の祭りですが、これはもっと世に広まればいいと思います。

Facebookの広告作成で、広告対象エリアでのFacebookユーザー数が分かる。

広告を打つ為には、その対象エリアにターゲットがどのくらい存在するのか?ということが重要であるが、なかなかその実数というものは正確にはわからないものである。
今回、日本ソーシャルメディア学会のMさんが教えてくださった情報によると、Facebookページで広告を作成する際に、広告の対象エリアを選択することができるのだが、その見積もりの際に、対象エリアのFacebookユーザーが何人いるのかを算出してくれるという機能がついているというので、さっそく試してみた。

1)Facebookの左サイドバーの広告マネージャーをクリック。
2)画面トップ右上の「広告を作成」をクリック。
3)何を宣伝しますか?の中から自分の管理するFacebookページを選択する。
4)「Facebookに広告を掲載」ページの下に、”共有範囲を選択”とあるので、
5)「場所」の欄には、予め”米国”が選択されているので、そこに”日本”と入力し、日本を選択肢として呼び出し、選択。
6)そうすると、ラジオボタンで、”国”、”都道府県”、”市区町村”の選択肢がでてくるので、
7)”市区町村”を選択すると、下にテキストボックスが出現。
8)試しに、Kesen・・・と入力すると、予測変換で”Kesennuma-Shi,Japan”が出てくるので選択。
※英文字入力の方がベター。日本語だと選択肢として出てこなかったので。

気仙沼市での結果:広告の対象 1,900人

・日本に住んでいる
・Kesennuma-shi、Miyagiに住んでいる
・「対象のFacebookページ」とつながりになっていない

という条件での結果であるが、それにしても気仙沼市の人口が現在、70,000人弱(平成25年1月末日市統計69,145人by気仙沼市HP)であるとすると、約2.7%の普及率であるということが分かる。
ちなみに、宮城県全体では、131,300人。
さらに、日本全体では13,471,020人。←日本の総人口よりも多くネ?
東京都では6,240,640人。
兵庫県では384,820人。神戸市では98,900人。
神戸市の人口は同じく最新の人口統計によると1,541,193人で、単純に割り算すると、6.4%である。

Facebookでも東京一極集中、都市部での集中がいえるのでしょうか、SNSの先達であるmixiでも同様の傾向が認められていました(うーん、古いデータで申し訳ないですが、2010年頃だったでしょうか)。
SNSは田舎には無用だからユーザー数が増えないのでしょうか?それとも、都会ではSNSが不可欠だからユーザー数が多いのでしょうか?
デバイスの普及、インフラの整備、アーリーアダプターの絶対数の不足、など考えられますけれども、
わたくしは、コミュニティー(人と人とが実際に関わりあう生活共同体)の密度みたいなものと関係するのではないかと思ったりもします。
田舎でのコミュニティーの人口密度というものは決して濃いものではないのですが、逆に人数が少ないため、どこでだれが生活しているかとういリアル情報を常に意識しているのだといえます。つまり、お互いを干渉しあって生きているわけですが、物理的に離れて暮らしているので、干渉しずきて気持ち悪いくらいの距離感(=パーソナルスペース)ではない(隣に、あるいは同居して暮らしているという場合もあるでしょうが、それは都市部でもあり得ます)。
人口が少ない地域で暮らしている人たちは何か大変な事が起こったときに、少ない人数で対処しなければならいわけですから、普段のコミュニケーションというものはお互い密にしておいた方がリスクが低いというわけで、田舎の方が、密になる為の普段の努力として、昔ながらのオーラルコミュニケーションを選択する方がまだまだ多いのではないかと。
一方、SNSというコミュニケーションツールは、トランスコミュニケーション(その地域を超えたコミュニケーション)として発揮するのではないかと。
最近の田舎暮らしは、トランスコミュニケーションしてみたくなる雰囲気であるかもしれませんがね。これは元々田舎育ちである私の個人的な感想です。

CSR=教養=経営哲学であるということ。

大企業でもないのに、CSRのセミナーなんて…と思いつつ、Kさんのご紹介で「サステナビリティCSR検定の意義と概要」というテーマの講演会に参加しました。広報といえばCSRがつきものですし、今の潮流がどうなっているのかなぁという個人的興味もありましたので参加してみましたが、非常に目から鱗のセミナーでした。
そもそも、CSRというのは、Corporate Social Responsibility;企業の社会的責任と訳されるコトバでして、Resposibilityという単語が責任という訳され方をされますが、むしろ対応という意味合いがふさわしいといえます。つまり、企業が社会からの要請や期待に応えること「社会的課題(Social Issue)への本業を通じた解決であったり貢献」というのがCSRの本来の意味であるといえます。
講演会のなかで、演者の阿部先生は、「CSRとは、教養であるという捉え方があります。また、CSRとは、経営哲学であるという捉え方もあります。」とおっしゃっていました。
ですから、なにも大企業だけのことではなく、中小・零細企業においても、その経営哲学が発揮されるべきであり、そのなかでのCSRという取り組みがなされることは企業にとっては必然であるといえます。

松下幸之助翁は私の尊敬する経営者の一人でありますが、昭和4年の松下電器の綱領において「営利ト社会正義ノ調和ニ念慮シ、国家産業ノ発展ヲ図リ、社会生活ノ改善ト向上ヲ期ス」という経営理念を掲げたのだと紹介がありました。「営利と社会正義の調和」という言葉は、私のなかで非常に感銘を受けた言葉であります。しかしながら、経営の神様と称される松下幸之助翁も、創業まもない頃は、カネ、カネ、カネ、という状態だったが、そこを抜け出した後は、「企業は社会の公器」であるという経営哲学を持たれたそうです。

ですので、最初から理想を追うということで窮せず、しかし理念は決して忘れず、社会の中のお客様からできるだけ多くの拍手(=利益)を得ていくことが社会正義と営利とを調和させていくことの要諦だと理解しました。

松下翁の逸話でいいますと、「余裕ある経営(ダム式経営)」という言葉を講演会で話したとき、「具体的にどうすればいいのでしょうか?私ども零細企業では、余裕すらもてないのが現状なのです。」と問われた翁は答えて曰く「私にもどうやったらいいか、分かりまへん。ですが、そのように思わなくてはダメだということです。」その答えに場内は「な〜んだ、それじゃあ答えになってないじゃないか。」と落胆のため息が漏れたそうです。しかし、その中でひとりだけ感銘を受けた経営者が、稲盛和夫氏だったそうです。稲森氏は、松下翁の「ダム式経営」の理念を実践し、今や名経営者として世に知られています。さすがに名経営者ならではの逸話だなぁと感心致します。

これも講演の中で紹介されていた話ですが、高田屋嘉兵衛の生涯を記した、司馬遼太郎の「菜の花の沖」の中の一節に・・・「商い行為というのは、本来、倫理行為なのである。」・・・とありましたが、蓋し名言也。といったところでしょうか。

被災地を支援をするということは、「義」から発するものだと自負しておりました。
元々「義」とは決して正義でもなく、「我(=人間)が背負いし羊(=神様への捧げもの)」という原義から、「共同体である社会(=天)に対する責任として、自らが天に捧げる役目に選ばれる」ことを意味し、社会貢献なのだと解釈すれば、義=社会貢献という役目を、社会に生きていく人間として当たり前に負うということこそ、道徳である。そんな「義」から発する支援が継続して行われるためには、もうひとつ「利」というものが不可欠です。しかしながら、「利」を追いかけてしまうと、被災地では営利目的の団体かと思われるのを憚ってボランティア活動(=無償奉仕)に拘る団体が多いのですが、無償奉仕では長くは続かないです。

日頃から思い悩んでいた、この「義」と「利」とのトレードオフについて、松下翁のおっしゃる「営利ト社会正義ノ調和ニ念慮シ…」の考え方は、非常に心強くこれからの私の活動の支えとなる金言として、心に刻み置きたいと思います。

【備忘録】コンセンサスとは?

備忘録として、合意形成理論というものが定義するものに、「『コンセンサスビルディング入門』ローレンス・E・サスカインド/有斐閣 では、コンセンサスとは何か?という問いに対し、「会議の終了後にある約束を共有すること」としている」とあるらしい。
では、その「ある約束」というものをどのように提示し、お互いが納得し、守るべき「約束」として認識することができるのであろうか?
会議というもの、そしてコンセンサスを得るということは、守るべき約束を共有することに帰着するというのは、シンプルであるが簡単ではない。